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2012年3月 3日 (土)

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       *

 獣の身体とはこんなにあたたかいものだったろうかと、微睡みに吸い込まれていく意識の中でグラハムは思った。
 洞穴に身を潜めて吹雪をやり過ごすのはままあることだが、誰かと鉢合わせになったのは初めてだ。思えばこんな風に身を寄せ合って寒さをしのぐのも、ずいぶんと久しぶりのことである。
 あたたかいと感じる同時に、妙に気持ちが落ち着いた。群れを失ってからは、心安らかに過ごせた夜などほとんどなかったというのに。
 暗がりで輪郭のはっきりしない己の前足を目の前にかざし、ふぅとため息をつく。
 今は長い五本の指は、獣の姿になると縮んで丸くなり、先端には鋭い鉤爪、足裏には弾力のある肉球が形成される。
 グラハムはオオカミ族だ。四年前までは群れのひとつを率いて広大な草原を駆け回っていた。だが、突然やってきた武装した連中に襲われ、仲間のほとんどが殺され、連れ去られてしまった。
 草の上に横たわった無数の狼たちの姿は今でも瞼の裏に焼き付いている。血を分けた兄弟にも等しい存在だ。両親の顔を知らないグラハムにとって、仲間たちと狩りに出かけ、真っ青な空と草原のはざまを駆ける時間が、最もかけがえのないひとときだった。
 怒りに任せて飛び掛かり、敵の右腕に深手を負わせたものの、グラハムにできたのはそれだけだ。突然噴き出した炎に灼かれ、気を失った。
 それに、もう遅かったのだ。連中は巨大な鉄の塊に乗り込み、去っていった。あれが走るときの耳障りな音と地響きは今でも鮮やかに記憶している。
 土の上に残されていた特徴的な足跡、焼け焦げた小さな紙筒の匂い。思い出すたびに、敵に灼かれた傷痕が疼く。
 吹雪に見舞われたこの夜も、いつものように前触れもなく暴れだした痛みに耐えながら、睡魔が訪れるのを待っていた。だが今は鎮静し、皮膚の下でわずかに燻ぶるのみだ。
 このふしぎな変化は、背中合わせに横たわっている存在のせいだとしか思えなかった。
 姿はほとんど見えない。匂いも――今は残念ながら判別しかねる。知っているのは、瞳が森の湖のように澄んでいることと、背中のぬくもりだけ。
(君はどんな姿をしているのだろうか)
 馴染みのある気配は同族か、狼に類する獣だろうか? だがそれにしてはどこか間が抜けていると、グラハムは首を捻った。
 『ニール』の気配には、最初から気づいていた。
 小さな横穴の先、風の音にまぎれて耳に入った足音に一瞬だけ身構えたものの、ごそごそと落ち着かなげな物音やため息、さむいだの、ひとりになっちまっただの、泣きの入った独り言を聞いていれば警戒する気も失せる。
 危険な相手ではなければよし。互いに干渉せず、吹雪をやり過ごすのみだ。それがどうしてこんな風にぬくもりを分け合うことになったのか。
 だが思い起こしてみれば背中を貸すと言ったのは自分だ。グラハムは喉奥で小さく唸り、再び地面に身を伏せた。
 目を閉じ、背中に感じる体温と風の音に意識を傾ける。そうしているうちに、ゆらゆらとやさしい眠りに落ちていく。
 それからどれだけ時間が経ったのか、相変わらず闇に沈んだ空間でグラハムはふと目を覚ました。
 鼻の調子がよくなったのか、匂いがクリアに感じ取れる。くん、と鼻を鳴らし、背後から芳しい香りが漂ってくるのに気づいて振り返ると、規則正しく背を上下させて眠っている影があった。
 本能に従って鼻を寄せる。その瞬間、洞の中にさっと淡い光が差し込んだ。
 時間にすればほんの数秒のこと。おそらくは雲の切れ間から月が顔を覗かせたのだろう。だがそのわずかなひととき、うっすらと照らし出されたニールの姿に、グラハムは二度衝撃を受けた。
 相手が自分と同じ獣人で、人の形態をとっていることは、何となくわかっていた。声からして若いオスであろうことも。
 だが、彼の寝顔はまるで昔絵本で読んだ眠り姫のように魅惑的で、愛らしかった。
 白い肌と、長い睫毛に縁どられた涼やかな目もと、そして甘いウェーブを描く巻き毛。四肢はすらりと長くしなやかで、鼻筋の通った端整な顔立ちは大人の男のそれに間違いないのに、つい見惚れてしまう。
 だが、次にやってきた衝撃は、そのすべてを吹き飛ばしてしまうくらい強烈だった。
 彼の顔から足もとへ、ゆっくりと視線を巡らせるうちに気づいた。グラハムが貸し与えた陣羽織の下、形のよいお尻からふわふわの尻尾が垂れている。
「ひゃんっ」
 むんずとつかみ、飛び上がって驚いたニールにグラハムも驚き、目を丸くした。
 手はすぐに放した。だが寝起きとはいえ、相手も何が起こったかわかったようだ。気配に少しばかりトゲがある。
「いま俺の尻尾をつかんだな」
「い、いや、すまない。間違えた」
 自分で言ってから、何を間違えたというのかと呆れた。
 彼の尻尾をつかんで、どうするつもりだったのか。だが、正直つかむ気はこれっぽっちもなかったのだ。それは断言できる。ならばどうしてそうしたのかと問われれば、気の迷いだとしか答えようがない。
「ったく、何と間違えたんだよぅ」
 眠気のせいなのか、少々語尾があやしい。再び身体を横たえ、眠ろうとする気配に焦りを覚える。
 つかんだ尻尾は、間違いなく羊のそれだった。
 羊。つまり、狼にとっては餌、食糧である。
 ――ごぎゅ、ぎゅるるる、ゴゴゴ……。
 間の抜けた音が思いのほか大きく響き渡って、グラハムははっとして腹を押さえた。もともと腹は減っていたが、ご馳走を前に胃が反応してしまったようだ。
「お? なんだ、腹減ってんのか」
 合わせた背中の震えで、ニールが笑っているのがわかる。呑気なものだ。姿が見えないとはいえ、天敵と身体を寄せ合って、危険を感じないとは。
「俺も腹減った~。クローバーでも生えてねぇかな」
「……」
「なぁ、あんたの好物って何?」
「……羊だ」
と言うのを辛うじてこらえ、グラハムは唸った。
 他になかったか考えを巡らせる。真剣に考えれば考えるほど、羊――月の光に照らし出されたニールの姿が脳裏をちらつく。
 両の前足で頭を抱え、ひそかに悶絶しているうちに、ようやく思い出した。以前に仲間と人型で人間の餌場(パブというらしい)で食べたマッシュポテトが大変美味だったことを。
 こんなうまいものが食べられるなら、ずっと人型でいてもいいと思ったほどだ。その話をすると、ニールがへぇ、と嬉しげな声をあげた。
「俺もじゃがいも好きだぜ。意外と気が合うな」
 無邪気な笑い声が胸に刺さる。今はじゃがいもよりも、先ほど一瞬だけ目にしたしなやかな四肢や白い首筋に噛みつきたい。
 たとえ好物の羊でも人型のまま食べる趣味はないが、寒さと空腹のせいか常より衝動が強まっていた。
「今度作ってやるから、うちに来いよ。料理はあんま自信ねぇけど、マッシュポテトならできるぜ」
「!」
 一瞬、頭の上に生えた狼の耳がピンと立ち、それからへたりと下がったのが自分でわかった。
 彼の好意はありがたい。だが、相手が羊だとわかってしまった以上、親しくなっても不毛なだけだ。
 そう考えたら急に胸のうちが空っぽになったような寂しさを覚えて、グラハムは顔をしかめた。
「いや、遠慮しておこう」
「なんでだよ、好きなんだろ? それに友達連れてったら群れの皆もきっと喜ぶ――」
「それはない」
 きっぱり言い切ると、今度こそニールは黙り込んだ。
 頑固なやつだな、もう知らねぇ、などと文句を連ね、それでいて背中を擦り付けてくるのが可笑しい。 やがて穏やかな寝息が聴こえてくるのに、グラハムはため息を吐いた。
「たとえ一匹でも、狼が羊の群れに入れば阿鼻叫喚だろう」
 苦笑交じりのささやきは、ニールの耳に届くことはなかった。

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